今からちょうど200年ほど前、1冊の小説が世に出ました。
主人公は、科学を志す若き男・・・墓地から盗み出した死体をつなぎ合わせ、命を吹き込みました。
生れたのは、恐るべき怪物・・・その小説の名は、「フランケンシュタイン」

有史以来、人類が追い求めてきた夢・・・死者の復活!!
科学が目覚ましい発展を遂げた20世紀前半、その夢を現実にしようとした男がいました。
アメリカの生物学者ロバート・コーニッシュです。



1934年、コーニッシュは動物を次々と殺しては、生き返らせるという実験を行いました。
死んだ犬の蘇生に成功すると、マスコミに公表し、一躍時代の寵児となりました。

彼は、死を克服するという考えにとりつかれていました。
その為に、有効と思われれば手段を選びませんでした。
続けてコーニッシュは、人体実験へと踏み出します。
死刑囚を死刑後に生き返らせるというこの計画は、全米に賛否を巻き起こしました。
彼は異端でありますが、間違いなく科学的な人物です。
ただ、アメリカ社会は、彼をマッドサイエンティストだとみなしました。
科学技術が万能だと思われていた時代、死を科学の力で乗り越えようとした男と、その闇に迫ります。

1931年、ある映画が世界的に大ヒットします。
「フランケンシュタイン」です。
主人公の青年・フランケンシュタインは、死体を墓地から盗み出しつなぎ合わせて生き返らせました。
観客は恐怖に震えあがります。
その中に、恐怖と別の感情を抱く男がいました。

「フランケンシュタインのように死を克服することは可能だ!!」byロバート・コーニッシュ

3年後、死んだ犬を実際に生き返らせ、世界を震撼させます。

1903年、コーニッシュはカリフォルニア州の弁護士の家の長男に生まれました。
幼いころから神童と呼ばれ、母親のもとで英才教育を施されました。
14歳で名門カリフォルニア大学バークレー校に進学すると、化学を専攻・・・18歳という若さで卒業し、22歳で博士号を取得しました。
解剖学の研究員となりましたが、専門分野以外のものにも異様な興味を示しました。
水中で本を読むためのメガネの研究にのめりこみ、ビタミンの合成や新しい歯磨き粉の開発に夢中になりました。
彼は野心家で、常にチャレンジを求めていました。
彼は、自分こそが重要な人物だと考え、他の研究者は道を譲るべきだと思っていました。
憂愁で、変人だった彼が、”死者の復活”という命題に取り組んだのも、誰も成し得なかった偉業を達成したかったからでしょう。

死者の復活・・・それは、人類が追い求めてきた永遠のテーマでした。



1771年には、イタリアの解剖学者ルイージ・ガルヴァ―二が死んだカエルに電気を通すと筋肉がけいれんを起こすことを突き止めます。
人びとはこの発見に驚嘆し、失われた生命が電気によってよみがえると驚きました。
20世紀になると科学技術が飛躍的に進歩し、生と死を操ろうとする化学者たちが現れます。
1928年には、ソ連の生理学者セルゲイ・ブリュコネンコが死んだ犬に人工心臓を取りつけ数時間活かし続けることに成功しました。
詳細はベールに包まれたまま、噂だけがアメリカに伝わりました。
当時ソ連は医学の中心地で、彼らの蘇生研究に注目が集まっていました。
死んだと思われた人を死の淵から救い出すことができるかもしれない・・・
これは非常に魅力的で多くの人をひきつけました。
一方で、人間の限界を踏み越えて、神の領域を侵すことになると、懸念する声も上がってきました。

コーニッシュもまた、生命を蘇らせる研究にとりつかれます。
そして、本来の解剖学の知識を駆使し、ある道具を開発します。
シーソー型蘇生機です。
死体を上下に揺らし続けることで、強制的に血液を循環させます。
この時、臓器の重さの移動が横隔膜の動きを引き起こし、人工的な呼吸をも見出す・・・
血液循環と人工呼吸によって、酸素が体内をめぐり、死者を生き返らせるというのです。

1933年初めての人体実験が行われました。
蘇生を行う許可が下りたのは、4時間前に病院で死亡した男でした。
コーニッシュは、死体をシーソーに縛り付け、5秒から8秒の間隔で揺らし続けました。
90分後・・・死体に変化が現れます。
コーニッシュは、未発表の報告書にその時の興奮を記しています。

「顔に赤みが差し、目に輝きが戻り、気管と胸骨の間の軟組織にかすかな脈動が観察されました。
すぐさま胸部を圧迫して呼吸させようと試みましたが、脈は途絶えてしまいました。
コーニッシュはその後、溺死者1名、感電死者1名に蘇生を試みます。
しかし、2人とも脈は全く戻らず失敗に終わりました。
シーソー型蘇生機に自信を持っていたコーニッシュは、動物を使って問題の検証を始めます。
実験に使われたのは、自らの手で殺した羊・・・!!
血液の循環が間違いなく怒っているのか確かめる為、羊の大腿動脈に青色の色素を注入しました。
シーソーで揺らし続けて25分・・・全身の主な血管に青色の色素がいきわたっていました。
血液循環は確かに起こっている・・・それでもなぜ羊は目覚めないのか??
コーニッシュは、生命の復活のために有効と思われるものを片っ端から実験していきます。

日本の柔道家・加納治五郎が編み出した”活法”まで試しました。
死んだ羊に活を入れ、息を吹き返させようとしたものの上手くいきませんでした。



コーニッシュは、死を克服するという目的遂行のために、どんな方法でも取り入れました。
誰もやらなかったことまで試しました。
事態を打開するために、コーニッシュが目をつけたのは外科医ジョージ・クライルの実験でした。
クライルは、酸素などを加えた血液を輸血することで、使者を蘇生させたが再び死なせてしまいました。
コーニッシュは、この原因を血液が固まったためだと考えました。
心臓が止まって血液が循環しなくなると、血液凝固が起きやすくなります。
そこでコーニッシュは、血液を固まりにくくさせる性質で知られていたヘパリンに注目・・・血液に、ヘパリンと酸素を加えて独自の輸血方法を開発しました。
コーニッシュは、死体をシーソーで揺らしながら輸血を行い、さらに心臓に血液を集める働きがるアドレナリンを投与するという方法にたどり着きました。

コーニッシュは、非常に方法論的に一つ一つを細分化して解析していきました。
1934年、コーニッシュはいよいよ犬を使って蘇生実験に取りかかります。
実験に使用する犬には、ラザロ2と命名。
聖書の中で、キリストが生き返らせたと伝えられるユダヤ人・ラザロにちなんで名づけました。
実験は、バークレー校のコーニッシュの研究室で行われました。
そこには新聞記者が集まっていました。
世間の注目を集めようと、コーニッシュが招いたのです。
ラザロ2の心配が停止して6分後、蘇生に取り掛かります。
輸血を行い、アドレナリンを注入して、シーソーを動かすこと5分・・・
突然、ラザロ2の心臓が鼓動をはじめました。

「生きている!!」

昏睡状態ではありましたが、蘇生に成功したのです。

””11分間の死ののち犬が蘇生した””
””人類の助けになるかもしれない””

しかし、その後ラザロ2は血栓により死亡。
続けて実験したラザロ3は、5時間しか生きませんでした。
ヘパリンが足りなかったと考えたコーニッシュは、ラザロ4ではその投与量を調整。
さらに、血圧を安定させるとされていたアラビアガムを追加しました。
ラザロ4は蘇生し、12日後に意識を取り戻しました。
しかし、今度は脳に障害を負ってしまいます。
生気はなく、ぼんやりと空中を見つめるばかり・・・
無酸素状態が長く続いたためでした。
ラザロ4の経過は、新聞で逐一報道されました。

””餌を食べ、光や触られることに反応した””
””蘇生した犬に知的障害あり””
””後ろ足は動かず、今もキャンパス内で生きている””

コーニッシュは一連の実験について、論文にまとめることなく、マスコミを通じて世間にアピールしていきます。
さらに、実験の映像を、映画「フランケンシュタイン」を作った制作会社に提供。
映画「ライフ・リターンズ」命がよみがえるというタイトルで公開されました。
そこには、立派な科学者の役として、コーニッシュの姿が映されていました。



コーニッシュの名は、一躍全米に知れ渡りました。
しかし、残酷な動物実験が強烈な批判を浴びることになります。

””実験は動物に対して冷酷
 たとえ、人類のためになろうとも””
””残酷非道””

コーニッシュは皮肉交じりに、それなら実験動物を皆の好きな犬から豚に変更するとうそぶきました。

「豚の方が、消化器系も循環器系も人間によく似ているし、何より犬よりも友達が少ない」

悪評を恐れた大学は、コーニッシュを解雇。
科学の世界では、通常、まずは権威ある科学誌に研究を発表します。
学会で検証される前に、新聞に掲載させるなんてありえないのです。
コーニッシュとラザロ実験に関する新聞記事は、なんと数百にも及びます。
20世紀の科学者の中で、そんなことをする人は誰ひとりとしていません。

蘇生術の完成まであと少しだと考えていたコーニッシュは、ひとり自宅で動物実験を続けました。

1934年9月21日、遂に実験を成功させます。
ラザロ5は、4日後には餌を食べ、元気に吠えるほどに回復しました。
この結果もまた、新聞で報じられました。

””生き返った犬、歩行訓練開始””
””若き科学者、世界の注目を集める””

1934年10月、コーニッシュはいよいよ人体実験に乗り出します。
目をつけたのは死刑囚。
処刑された直後に生き返らせようと考えたのです。
コーニッシュは、ネバダ・コロラド・アリゾナの三州に協力を求めます。
この三州は、いずれも処刑にガスを使っていました。
コーニッシュに最適の実験環境でした。
荒っぽい殺され方をしてないので、蘇生の可能性が高い・・・!!
また、コーニッシュは死んだ直後の人体を必要としていました。
病院に収容された後では、時間が経過しすぎています。
処刑されたその場で、すぐに死体を受け取って蘇生実験をはじめたかったのです。
つまり、死刑囚は、完璧な被験者でした。

コーニッシュは、死刑囚を蘇生させる手順を新聞に寄稿、デモンストレーションの写真と一緒に公開しました。
タイトルは「私が如何にして使者を生き返らせるか」
まずは、死体をシーソーに乗せ上下運動をはじめます。
死の原因となった毒ガス・シアン化物は解毒剤・メチレンブルーで中和。
さらに、マスクから酸素を供給して人工呼吸を行います。
ヘパリンと酸素を加えた血液を輸血し、アドレナリンを投与します。

「これらの手順が適正に行われれば、心臓はすぐに力強く鼓動を始めるだろう」

例え蘇生が成功しても、脳の損傷は免れない??

””脳はものすごい速さで壊れてしまう””
””人間の脳は取り返しのつかないダメージを負うだろう””

それは、非人道的でした。
蘇生のプロセスで、囚人の脳に損傷が起きた場合、誰がそれに対処し、どのように克服するのか、脳が損傷する可能性があるのに、人を蘇生させるというのは果たして倫理的なのか??

三州の知事たちは、要請を却下しました。
コーニッシュは、その後も実験器具の改造に明け暮れ、シーソーの代わりとなる人工心肺を開発します。
この人工心肺は、血液を取り出して酸素を混入し、体内へ送り返す機能を持っていました。
手動のシーソーよりも、時間の短縮につながり、脳へのダメージを軽減できると考えました。



死刑囚を使った人体実験を断わられて12年後、コーニッシュのもとに一通の手紙が届きます。
差出人は、刑務所に服役中のトマス・マクモニグル死刑囚です。

「私は敬意をもってあなたにお会いしたい」

マクモニグルは、少女を誘拐し殺害した凶悪犯として起訴され、死刑判決を受けた人物でした。
コーニッシュは、マクモニグルが収監されているカリフォルニア州サンクエンティン刑務所を訪れました。
マクモニグルは、新聞でコーニッシュの研究を知ったと語り、自ら実験台になることを願い出ました。
コーニッシュにとって好都合だったのは、この刑務所がガスで処刑を行っていたことでした。
面会を終えたコーニッシュは、その日のうちに実験の許可を得ようと州知事に手紙を出します。

”マクモニグルは私の蘇生実験を望んでいる
 もし、蘇生が成功したならば、今後溺死や感電死など、不慮の事故死を遂げた人々の命を救うことになると言っている”

死刑囚のマクモニグルに科学的な興味があったとは思えません。
彼の願いは、死から助かることだけでした。
コーニッシュは、そんなことはお構いなしで、自分の野望達成のための最大のチャンスととらえたのです。
彼は、死を克服することしか考えていなかった。
倫理的な問題は、頭の中になかったのです。

コーニッシュが、州や刑務所との交渉を始めると、再びマスコミが注目。

”有罪犯、怪奇な実験に体を提供”

前例のないケースだと、司法界は混乱します。
処刑された死刑囚が生き返ると、適用する法律がない・・・!!

サンクエンティン刑務所の所長は、死刑囚を蘇生させた場合の法的な扱いに困り、批難を受けたくはありませんでした。
生き返ったのだから、再び処刑するというのはなんとも残酷・・・!!
かといって、生き返った囚人をそのまま釈放するべきか、誰も明確な見解を持っていなかったのです。
刑務所長と交渉すること3度、その度にコーニッシュの申し出は断られます。
州との交渉も決裂しました。

ワシントン州スノホミッシュ・・・この町に、コーニッシュの親族(甥)が暮らしています。

「私の役割は、伯父が綺麗なシャツとネクタイを身に着けているか確認することでした
 彼はエキセントリックな科学者でしたから、全く関心を払わなかったのです
 確かに伯父がマッドサイエンティストだとみられていたのは間違いありません
 でも、私にとっては良い伯父でした
 実験が却下されたことは伯父にとって非常に大きな挫折でした
 そして、家族に対して負い目を感じ、自分を恥だと思っていたようです」

死刑囚マクモニグルを使った人体蘇生を拒否されたコーニッシュのもとに、実験に協力したいという申し出が殺到しました。
そのほとんどが、金銭目当てのものでした。
コーニッシュは申し出に困惑します。

「蘇生実験を行うために、わざわざ人を殺すなんてばかげている
 死刑執行後の死刑囚の体を使うのとは全く別の話だ」

コーニッシュは、人体蘇生への情熱を失ってしまいます。
生活費をねん出するため、フッ素入りの歯磨き粉を開発し、”ドクターコーニッシュの歯磨き粉”と名付けて売り出しました。
ところが、当時フッ素には毒性があると考えていた消費者雑誌から歯磨き粉として相応しくないとして否定されてしまいます。
彼は、時代の最先端を行く人だったのです。
周囲の人に理解されず、失望といら立ちを感じていました。
コーニッシュは、ある奇妙な趣味に没頭していきます。
それは、カエルのトレーニングです。
年に一度のジャンピングカエル祭りを目指しました。
5本足のカエルを手に入れたことがきっかけだったといいます。
コーニッシュは、筋肉をつけさせる虫を餌として与え、カエルが冬眠する冬も休まず訓練させました。
晩年のコーニッシュは、ほとんど外出することもありませんでした。



1963年、生涯独身のまま、兄弟に看取られながら息を引き取りました。
享年59歳・・・脳卒中でした。

一方で、コーニッシュが取り組んだ人体蘇生の手法は、救急救命医療の現場で実現していきます。
血液の凝固を防ぐヘパリンは、1935年に臨床試験が行われ、その後輸血の現場で使用されるようになります。
人工呼吸に心臓マッサージを組み合わせる方法は、1960年、有効性が認められます。
現在の心肺蘇生法として確立しています。
しかし、コーニッシュの研究が語られることは全くありませんでした。

科学の力で死を乗り越えようとする挑戦は、医療技術の劇的な進歩と共に、新たな段階に突入しています。
2016年アメリカのバイオテクノロジー企業が、脳死した患者を蘇らせるという治療法を発表しました。
脳死とは、脳の機能が停止し、回復不可能な状態を指します。
人工呼吸器などの補助が無ければ、心肺機能も停止してしまいます。
この企業で、脳死した患者本人の幹細胞を取り出して培養、それを死んだ脳に戻し、新たな脳神経の再生を促すことで、脳の機能を回復させる・・・自力で呼吸することが可能となり、動く物体を目で追うという認知機能も取り戻せるといいます。
もし、この治療法が確立すれば、死という概念そのものが覆ることになるのです。

この治療法を開発した企業は、最終目標を脳神経の完全な組成と掲げ、南米で人体実験を開始するという・・・。
適切な動物モデルがいないという理由で、動物実験が行われることもなく、実施されるといいます。

カリフォルニア州サンパブロにあるセントジョセフカトリック墓地・・・その一角に、人体蘇生の研究に突き進んだロバート・コーニッシュが眠っています。
マッドサイエンティストと呼ばれ、晩年人目をはばかって生きていたコーニッシュには、墓石さえありません。

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