人間にとって勇気とは何か??
かつて、独裁者に命がけで挑んだ人々がいました。
今から78年前の1944年7月20日、ドイツを支配するナチ政権を倒すべく、結構されたクーデター・・・恐怖の根源・ヒトラーを暗殺せよ!!
戦士の運命を決める乙女・・・ワルキューレの名のもとに・・・!!

ドイツの指導者アドルフ・ヒトラー・・・彼を救世主と信じ、破滅へと暴走する国民達。
そうした圧倒的な世間に背を向け、運命を変えようとした人々がいました・・・!!
巨大な流れに抵抗する人々が背負った苦労と責任と誇りとは・・・??

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ビールと歴史の町、ドイツ南部の大都市ミュンヘン・・・
この町の巨大ビアホール・ビュルガーブロイケラーは、20世紀半ば、世界的な大事件が起きた場所でした。
1939年9月、第2次世界大戦勃発!!
ナチスドイツは、ヨーロッパ征圧へと動き出しました。
1939年11月8日、戦争が順調に進む中、ヒトラーがミュンヘンを来訪。
ナチ党が、昔からなじみのビアホールで演説をするためです。
午後7時30分、演説開始。
およそ2時間、9時30分ごろまで続く予定でした。
ナチ党員およそ2000人が詰めかけ、最前列にはゲッペルス、ヒムラー、ヘス、ボルマン・・・最高幹部が並びました。
しかし、ヒトラーの背後わずか1m・・・大きな石の柱の内部では・・・??
9時20分ごろ爆発が発生!!
演壇の周囲は粉々に破壊、屋根が崩れ落ち、大勢が下敷きになりました。
ヒトラー爆殺を図ったのは、一体何者・・・??
ミュンヘンから北西・・・およそ130キロ・・・工場用の機械部品作りの町ケーニヒスブロン。
爆発からおよそ1時間後、この町で働く男が時限爆弾を仕掛けた容疑で逮捕されました。
家具職人ゲオルク・エルザ―・36歳です。
無口で目立たず真面目な彼が・・・!!と、周囲を驚かせました。
しかし、物静かな物腰に対し、心ではヒトラーへの怒りが燃え上がっていました。

「必要不可欠なのは、1人の指導者の意志
 1人が命じ、他の人々はそれを実行すればよい
 統治とは、上から始まり下で終わるものだ」byヒトラー

ヒトラーが政権を握ったのは、1933年。
それ以来、ドイツが発展するためにはすべての国民が心を一つに団結し、ヒトラーの命じた通りに動くことが必要だと盛んに宣伝しました。
一定年齢の青少年は、ヒトラーユーゲントに参加し、軍事用の訓練や思想教育が施されました。
大人たちの職場は、労働者は兵器工場へ、若者は軍隊へと動員され、軍事力の向上を目指しました。

1938年、オーストリア併合。
圧倒的な武力を背景に、オーストリア、ポーランドと領土を拡大・・・
国民の多くは、ヒトラーに従えば皆が幸せになると信じました。
しかし、ヒトラー暗殺を狙ったエルザ―は、見せかけの幸せに隠された偽りに気付いていました。
逮捕後の尋問調書に、ヒトラーへの怒りが・・・!!

「私を含む労働者は、間違いなく強制された状態に置かれています
 ヒトラーユーゲントのために、親は自分の子供を自由に育てることもできなくなりました
 私は考えた末に、現在の国家指導部・ヒトラー・ゲーリング・ゲッペルスの三人を排除しない限り、ドイツの状況は変わらないという結論になりました」

ヒトラーと最高幹部を爆殺・・・!!

エルザ―はなぜ、たった一人で戦いを挑んだのでしょうか・・・??
実際は、エルザ―と同じようにヒトラーの独裁に、多くの人が不満を持っていました。
しかし、”何かをしなければならない”と、行動に移したのは彼ただひとりだったのです。

エルザ―は、当時働いていた工場から、火薬や時計の材料を盗み、数か月をかけて時限爆弾を完成させます。
ヒトラーが演説を予定しているビヤホール・ビュルガーブロイケラーに、客として毎日のように通います。
こっそりと物置に隠れて夜中まで待ち、人がいなくなるや否や演台の後ろ、大きな石の柱にコツコツと穴をあけ続けました。
1カ月かけて大きくしたその穴に、時限爆弾を仕掛け、板で隠します。
そして、1939年11月8日、ヒトラーの演説・・・夜9時20分。
死者8人、負傷者63人・・・多くがナチ党員・・・犠牲者の葬儀の様子は映像に収められ、爆弾事件の残虐さを伝えました。

ヒトラーは生きていました。

事件の夜、ミュンヘンでは霧が発生。
ヒトラーは、移動手段を飛行機から列車に変更しました。
その為、30分ほど早く、演説を切り上げ、最高幹部と共に会場を離れていました。
その差、わずか十数分・・・

「私は神の摂理に守られている」byヒトラー

殺人者ゲオルク・エルザ―・・・悪質な残虐行為・・・!!
総統の奇跡的脱出!!
ヒトラーのカリスマ性が高まる一方、エルザ―は国民から残虐な人殺しと憎まれました。

ゲオルク・エルザ―(42)・・・1945年4月19日・銃殺

ヒトラーへの抵抗・・・その新たな動きは、意外なところから湧き上がってきました。
ヒトラーのもとで、ソビエトと戦っていたドイツ国防軍です。
1941年6月、ソビエト二侵攻開始・・・東へと勢力を伸ばします。
対ヒトラーの動きは、その最前線・ベルリンから1000キロ以上離れた東部戦線から始まります。
1942年4月、その男は、東部戦線の司令部に着任しました。
国防軍ヘニング・フォン・トレスコウ主席作戦参謀(41)。
先祖代々軍人の貴族でした。
十代から戦場で戦い、指揮官としての信頼もある・・・優秀な将校でした。
しかし、トレスコウのもう一つの顔は反逆者・・・!!

「ヒトラー、奴を撃ち殺さなければならない」

一体、何がエリート軍人を反ヒトラーに駆り立てたのか・・・??

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当時、国家元首であるヒトラーは、国防軍の最高司令官・・・
大きな作戦方針は、直接下され、トレスコウ太刀国防軍は、絶対服従でした。
しかし、東部戦線に対するヒトラーの作戦は強引で杜撰・・・
ソビエトの猛反撃を受けても、退却を認めず、兵士は絶望しながら命を落としていきました。
計り知れない数の兵士が、ヒトラーの作戦の犠牲となったのです。
軍事に無能なヒトラーに対して、トレスコウたち現場の将校は、不信感を持ったのです。
さらにトレスコウは、自分たちのすぐ後ろで行われているおぞましい行為を知ります。
捕虜や民間人の大量虐殺です。
ナチ政権の国家保安警察が組織した特殊部隊”移動虐殺部隊”・・・彼等は、国防軍の占領地域で、ユダヤ人をはじめ、抵抗勢力や共産主義者と疑われた人を虐殺。
第2次世界大戦中、1000万人以上の民間人が殺されたともいわれています。

ヒトラーは、ソビエトとの戦争目的を・・・絶滅戦争ととらえていました。
我々の戦いが、常軌を逸した虐殺に利用されている・・・しかも、国防軍も協力しているとは、これを止めるにはたとえ反逆罪になろうとも、ヒトラー排除しかない・・・!!

「”行動に出る者がいた”と世界と歴史に示すことが重要なのだ」

彼は同僚に、虐殺を見過ごせない理由を語ります。

「この残虐行為は、百年経っても悪影響を残すだろう
 責めを負うべきはヒトラーだけでなく、むしろ君や私であり、君の子供や私の子供でもあり、通りを横切っているあの女性でもあり、あそこでボールを蹴っている若者でもある」

トレスコウは、同じ司令部の中で、ヒトラーに反感を持つ将校を見出し、密かに暗殺計画を練り始めます。
しかし、この頃、ヒトラーは、暗殺を極端に恐れ、信頼するものしか近づけなくなっていました。
食事の時は毒殺を恐れ、用意した毒見薬は12人!!
しかも、移動の際には、戦闘機の護衛はもちろん、同じ型の飛行機を2機用意、ヒトラーがどちらにいるのかわからないようにしました。
トレスコウは、この飛行機に目をつけました。

1943年3月13日、ヒトラーはトレスコウがいる司令部を来訪。
最前線の視察を終え、総統専用機を大本営に帰ろうとしていました。
その直前、トレスコウは、ヒトラーと同じ飛行機で帰る側近に用事を頼みます。

「私の友人に借りがあるんだ
 お酒を2本渡してくれないか?」

側近は、酒が入った荷物を受け取ると、疑うことなく総統専用機へ・・・!!
やがて専用機はヒトラーを乗せて飛び立ちました。
実は、トレスコウの荷物は、時限爆弾が隠されていました。
時計の音がしないよう、化学薬品の反応で時間を調節。
化学反応が進むと・・・!!

しかし、トレスコウたちがいくら待っても、専用機墜落の報せが来ません・・・!!
離陸から2時間後、ヒトラーは大本営に到着。
爆弾は不発でした。

その原因は、専用機が上空を飛び、気温が下がることによって時限爆弾の化学反応が起きなかったからだと言われています。

そのわずか8日後、トレスコウは、第2の暗殺を謀ります。
ベルリンで、ヒトラーが兵器の展示会を見学した時、トレスコウの同志ゲルスドルフが爆弾を懐に入れ、自爆覚悟でヒトラーを案内しますが・・・なんの気まぐれか突然立ち去ってしまいました。

トレスコウたちの2度の暗殺は失敗に終わりました。
そして、トレスコウの果たせなかった思いは、新たな暗殺者へと引き継がれていきます。

ポーランド北東・ケントシン郊外の森・・・
分厚いコンクリートに囲まれた異様な建造物ヴォルフスシャンツェ・・・オオカミの砦と名付けられたヒトラー秘密の大本営の一部。
爆撃を防ぐシェルターの壁の厚さは6~8m。
広大な敷地は、二重の閉鎖区画に仕切られ、周囲に埋められた地雷は5万4000。
2000人もの警備兵がヒトラーを暗殺から守っていました。
ヒトラーは、こうした各地の大本営に身を隠しながら、信用できるわずかな者だけを呼びだし、作戦を立案しました。
ところが・・・ヴォルフスシャンツェの堅い守りを潜り抜けた暗殺者が・・・!!
陸軍・国内予備軍参謀長クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐(36)です。
最大にして最後のヒトラー暗殺計画の首謀者です。
名門貴族出身の若きエリートで、率直な性格、同僚から「限界までいこうとする男」と評される熱血漢です。
ナチ政権のユダヤ人弾圧、大量虐殺は、ドイツの恥と感じ、ヒトラーへの怒りを募らせていました。

「責任はヒトラーにある
 奴が排除されなければ、抜本的改革は無理だ
 私にはその用意がある」

北アフリカ戦線・・・
1943年、シュタウフェンベルクは、敵の銃撃で左目・右手・左手の指2本を失います。
しかし、瀕死の状態から奇跡の生還を果たします。
そこで、ヒトラー排除の決意を固めます。
自分の命は、何か目的があって救われたのかもしれない・・・!!
それは、ナチ政権に対して反乱を起こすべきという神の啓示ではないか・・・??
彼はそんな感情になったのかもしれません。

「勇気ある者は、自分の名前がドイルの歴史に”裏切者”と記されるのを覚悟しなければならない
 だが、それを恐れて逃げてしまえば、自らの良心に対する裏切り者になる」

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1943年9月、首都ベルリン・・・
重傷を克服し、軍に復帰したシュタウフェンベルクは、ドイツ本国内の部隊、国内予備軍の参謀に就任。
その頃、国防軍内部では、陸軍元帥ヴィッツレーベン、元陸軍参謀長ベックなど、100人以上が反ヒトラーグループを結成。
そこで、シュタウフェンベルクは、暗殺計画の中心的役割を担っていきます。
さらに、反ヒトラーの市民グループとの会合に参加。
これから目指すべき、新しいドイツ国家のプランを聞きます。
・ユダヤ人迫害の即時停止
・法の尊厳の回復
こうした市民グループを連携することで、計画はナチ政権を倒すクーデターへと発展していきます。

極秘で進めるため、作戦は、国防軍が別の目的で建てたものを流用しました。

作戦名「ワルキューレ」

ベルリンで緊急事態、何者かの反乱発生、その時、国内予備軍が反乱を鎮圧する作戦です。
これを、ナチ政権転覆のクーデターに使おうというのです。

第1段階・・・大本営のヒトラーに近づき、爆弾で殺害。
第2段階・・・総統ヒトラーの死亡の混乱の中、ナチ党が反乱を起こしたと称して「ワルキューレ」作戦発動
第3段階・・・国内予備軍らがベルリン各所を占拠、同時にナチ党幹部たちを反逆者として逮捕、新政府を樹立

1944年7月、反ヒトラー派にチャンスが・・・!!
国内予備軍の参謀長シュタウフェンベルクが、総統大本営の作戦会議に招かれました。
ヒトラー暗殺・・・そしてクーデター計画は、急速に動き始めます。
そこで、シュタウフェンベルクは、作戦成功のカギを握る軍人の説得に向かいます。
国内予備軍司令官フリードリヒ・フロムです。
反乱者を鎮圧する最高責任者です。
フロムの協力なしでは鎮圧軍は動かしにくい・・・!!
シュタウフェンベルクは、切り出します。

「この戦争はもう勝てません
 完全にヒトラーのせいです」

その熱弁を聞いた後、フロムは答えました。

「私の見解も、君とそう大きく違っていないよ」

賛成のようではあるが、不安が残る返事でした。
フロムはもともと反乱鎮圧計画としてのワルキューレ作戦の責任者でした。
一方で、それをクーデターに使う反ヒトラー派にも気のあるそぶりを見せていました。
しかし、完全にかかわることには躊躇したのです。
そして、ついにヒトラー暗殺結構の時が・・・!!
運命のその日は、1944年7月20日!!
ドイツの・・・世界の運命がかかった日でした。
ベルリン陸軍総司令部・・・ナチ党政権転覆のクーデター・ワルキューレ作戦が始まれば、ここは、反ヒトラーグループが終結する重要拠点となります。
一方、ベルリンから700キロ・・・総統大本営ヴォルフスシャンツェ・・・
「ヒトラーの作戦会議に出席せよ」
シュタウフェンベルクは、ヒトラー暗殺に挑みます。
午前11時・・・閉鎖区画に到着。
作戦会議開始の午後1時まであと2時間!!
その間に爆弾の準備をします。
突然の時間変更で、会議は12時30分からに・・・!!
残り30分、シュタウフェンベルクは、副官と共に時限爆弾の準備を急ぎます。
しかし、2つ用意した爆薬の1つしか起爆セットが出来ませんでした。
そこで、機転を利かせます。

「総統の近くに場所をとってくれないか?
 話をよく聞きたい
 ケガのせいで聞こえづらいんだ」

会議室へ・・・!!

そこに、ヒトラーがいました。

場所を開けてもらい、爆弾入りのかばんを置きます。
ヒトラーの2つとなり・・・ここなら間違いない!!
爆発まであと数分!!

「電話を・・・」

と部屋を出たのが午後0時39分。

爆弾は一つでも、威力は十分でした。
シュタウフェンベルクは、見ました。
運ばれる男にかけられた総統のマント・・・間違いない、ヒトラーだ!!
シュタウフェンベルクは、直ちにクーデターの現場ベルリンへ!!
この間にヒトラーの死が伝わり、同志たちがワルキューレ作戦を開始する手はずとなっていました。
午後3時45分、ベルリン空港到着。
副官が、陸軍総司令部に電話をします。
クーデターはどこまで進んだのか・・・??

クーデターは始まっていませんでした。

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ヒトラー暗殺直後の午後1時、混乱するヴォルフスシャンツェから、断片的な情報が入ってきていました。

「総統の暗殺が企てられたが、ご無事だ」

成功か失敗か、正確にわかるまで作戦実行は慎重にいこう・・・
陸軍総司令部・・・彼等はまず、様子を見ることにしました。
シュタウフェンベルクは、司令部に伝えます。

「ヒトラーは死んだ!私は見たんだ!
 ワルキューレ作戦の発動を!!」

ベルリン各所に電文が飛びます。

”総統アドルフ・ヒトラー逝去
 ナチ党幹部のごろつきどもがこの状況を利用し、政府転覆を図っている” 
 
3時間遅れで、国内予備軍が出動。
ナチ党幹部を逮捕に向かうとともに、中央官庁街や通信施設など重要施設を占拠。
午後4時30分、陸軍総司令部にシュタウフェンベルクが到着。
新政権の閣僚予定者・元陸軍参謀長ベックや政治家、知識人や市民グループも集まり、クーデター成功の時を待ちました。
ところが・・・

「シュタウフェンベルク!お前たちは国家反逆罪だ!死刑にしてやる!」

国内予備軍司令官フリードリヒ・フロム・・・反ヒトラーを認め、曖昧な賛成をした男・・・
ヒトラーが生きていた場合、クーデター側にいればわが身が危ない・・・フロムは、反クーデターの立場を示します。
さらに、午後6時30分、宣伝大臣ゲッベルス邸を包囲・・・そこで隊長のレーマーは、ゲッベルスから電話を渡されました。

「私の声がわかるかね?」

総統アドルフ・ヒトラーが生きていたのです。

爆発から4時間後、ヴォルフスシャンツェを訪れたムッソリーニを迎えるヒトラーの映像が残されています。
死者4人、重症者7人という爆発の中、脳震盪に打撲、やけど程度で済んでいたのです。
ムッソリーニに爆発現場を見せながら、何度も言いました。

「私は不死身だ、私は不滅だ」

どうしてヒトラーは無事だったのでしょうか?
一説には、シュタウフェンベルクが爆弾入りのかばんを置いて出たのち、別の将校が邪魔だと感じて頑丈な机の脚の裏側に移動、その為にヒトラーへの爆風が弱まったともいわれています。

「必要ならあらゆる手段を使い抵抗を鎮圧せよ
 私に歯向かうものはすべて殺せ わかったかね?」byヒトラー

午後9時30分・・・陸軍総司令部がヒトラー派に包囲する中、クーデター派のある者は逃げ出し、ある者は言い訳探しに必死になりました。

「みんなが私を見殺しにした」byシュタウフェンベルク

シュタウフェンベルクの周りにいた高官の多くは、彼に暗殺とワルキューレ作戦を行わせるつもりでも、自分自身が100%すべてをかけてクーデターに身を投じるつもりはありませんでした。
自分が望むことを、自分に代わって他の誰かのしてもらいたい・・・
「代理人症候群」だったのかもしれません。
その日深夜、午前0時30分・・・陸軍総司令部中庭・・・クラウス・フォン・シュタウフェンベルク銃殺。
その後、およそ600人が国家反逆罪で逮捕。
裁判では、毅然とヒトラーを批判し続ける人も・・・。

「総統が世界の歴史に果たした役割は、凶悪な犯罪者であると確信し・・・」by法学者ハンス・ベルント・V・ヘフテン

処刑者100人以上・・・東部戦線のトレスコウも過去の暗殺未遂が発覚し自殺。
それから9か月後・・・1945年4月30日・・・アドルフ・ヒトラー自殺。
その日まで、独裁者は自ら止まることなく、無数の命を奪い続けました。

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7月20日事件(クーデター事件)の軍人たちが評価されるのは、1950年代です。
1980年代になって本当の研究が出てきます。 
ゲオルク・エルガーの場合は、もっと大変で、故郷ケーニヒスブロンでエルザ―が”勇気ある反抗者”と認められるのは、1980~90年代になってからのことです。
今日ではナチスの過去を記憶にとどめる”記憶の文化”が運動となり、市民的な勇気を体現した人間としてゲオルク・エルガーの存在が、今日位置付けられています。

民主主義とは脆弱であり、放っておくと暴力国家に転じる可能性があります。
そうなる前に、早い時点で芽を摘み取る努力が必要なのです。
同調圧力に屈せず自立的に生きる・・・生きる私たちにとって最大の課題です。

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