名画「俺たちに明日はない」の鮮烈な青春・・・恋人たちのギャング・ボニー&クライド
実在した二人は、1930年代のアメリカで、非難と憧れの中を駆け抜けました。
オシャレで巧妙な犯行で銀行を襲撃、すさまじい武力と最新技術、最速の車、新感覚ギャングの正体は・・・??
ボニー&クライドは、1930年代のアメリカで銀行強盗と殺人を繰り返した凶悪な犯罪者です。
100年経った今も、人気ミュージシャンの歌詞に登場し、若者たちの憧れとなっています。
日本人がほとんど知らないボニー&クライドの真実とは??

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ボニー・エリザベス・パーカー・・・1910年生・21歳
どうして全米を騒然とさせるギャングとなったのでしょうか?
ボニーが育ったのは、アメリカ南部テキサス州ダラスの郊外。
そこはスラム街で、電気も水道もない、治安が悪く、ボニーの家も貧しかったのです。
幼いころから真面目で明るい性格・・・4歳で父親を亡くし、母親を大事にしたといいます。
成績は学校でトップクラス、詩を書くことが大好きな少女でした。
ところが・・・16歳の時、目覚めてしまいました。

巻き毛につけまつげに濃いリップ・・・
ボニーが理想としたのは、短い髪で肌を露出してタバコを吸う・・・
1920年代、ニューヨークなど大都会で流行した新時代の自由な女・フラッパーでした。
世間が求める従順な女なんて冗談じゃない!!
自分のライフスタイルは自分で選ぶ・・・
ボニーがフラッパーの先に見た夢は、

「私、ハリウッド女優か歌手になる」

でも、現実は、高校中退、仕事は地元のカフェのウェイトレスでした。
これが運命なのか・・・彼女の日記には

”いつものように憂鬱・・・なぜ何も起こらない?”

同級生と結婚するも、3年で別離・・・19歳に小さな変化が起きます。

1930年1月、ボニーは姉の家に・・・
姉が腕を骨折したので、家事を手伝っていました。
そこで、小柄でちょっとハンサム・・・クライド・チャンピオン・バロウ・・・一つ年上の20歳の少年と出会いました。
十代半ばから高価なスーツをまとい、ちょっと背伸びをしたオシャレ・・・
若くして高価な車を乗りこなす・・・いったいどんな人??
ボニーはクライドに、今までの人生にないものを感じました。

家に帰るや興奮して母・エマにまくしたてます。

「もう、本当、カッコ良かったの
 一目ぼれしちゃった!!
 この人なら、きっと間違いないと思うの」

エマは、娘に起きたことを後に語っています。

「人生を変える様な出来事の多くがそうであるようにあっけないもの それが運命の出会い」

恋に落ちたボニーは、まっしぐら!!
2人は毎日のようにデートをかさね、藍を深め・・・ところが、わずか1か月後、残酷な運命が・・・!!
1930年2月、クライド・バロウ、窃盗容疑で逮捕。
ボニーの目の前で、クライド逮捕!!
実は、クライドも、ダラス近郊のスラムで盗みを重ねる悪ガキでした。
得意なのは自動車泥棒・・・
仕立てのスーツも、車を売って買ったもの。
貧しくつらい現実を、犯罪で誤魔化していました。
懲役2年・・・クライドは刑務所行き・・・!!
それでもボニーは、何度も刑務所を訪れ面会します。
クライドを信じようとします。

「あなたがもともと善良なのはわかっている
 全部のケリがついたら、舞い戻るようなことは絶対にしないで
 あなたは一旗あげられる男なんだから」

クライドの更生を願っていました。
一方のクライドは、ボニーにこっそりメモを渡します。
そこには・・・

「脱走したい
 仲間の家の出窓の下
 ピストルがある
 持ってきてほしい」

驚くボニー・・・そのうえメモの最後には、”君は世界で一番カワイイベイビー”

数日後、ボニーは・・・持ってきてしまいました。

ボニーは極端な運命論者でした。
一旦恋に落ちると限りなく一途!!
彼女にとって愛と忠誠は同じものなので、クライドに忠実になったのです。
彼女は、クライドと同じくらい危なっかしい人物でした。

クライドは脱走・・・しかし、捕まり・・・懲役は14年になってしまいました。
でも、これはボニーが危ない道を思いとどまるチャンスでもありました。
新しい恋人・・・帰る当てのないクライドに見切りをつけたのです。
しかし2年後・・・クライドは、恩赦を受けて景気が短縮、2年で仮釈放となって帰ってきました。
ボニーは自分自身で選んでしまいました。
現実から連れ出してくれる人を・・・!!

クライド&ボニーは、盗んだ車で走りだします。
刑務所仲間二人を加え、クライド・バロウと仲間たち・・・その名もバロウギャングを結成。

ボニー&クライド

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1932年4月17日、彼らはダラスの南東50キロの町カウフマンへ。
4月18日深夜2時・・・ボニーの初犯罪は、誰もいない雑貨屋から強力な銃を盗むことでした。
全ては順調・・・と思ったら、警察に撃たれた!!
店には警備員がいて、こっそり警察に通報していました。
ドジを踏んで逃げだしました。
クライドとボニー・・・初めての共同作業は散々でした。
2人の運命は・・・??

最速の芸術品・1932年型フォードV8・・・時代を超え、今も愛される名車です。
そんな最新の車を盗み、クライドとボニーは強盗をかさねます。
最初は経験不足で失敗していた者の、小さい商店などで小銭稼ぎの強盗を半年も続けるうちに、次第に手口も巧妙に・・・
ついには、警戒厳重な銀行から大金を奪うように!!
お客さんのふりをして静かに入店。
店員が気付いたときにはクライドは目の前!!
息の合ったコンビネーションでお客は傷つけずにお金を奪う!!
電話線も切断していました。
駆けつけた警察官が撃ってきても、車で待っていた仲間が強力な機関銃で反撃。
昔のようにビビるどころか警察を圧倒!!
その隙に逃亡しました。
しかし、警察が最新の無線で先回り・・・ところがクライドたちはあらかじめ盗んだパトカーの無線機を使い、警察の作戦を察知、抜け道を通りまんまと逃げるのでした。

追いかける警察・・・世界最速120km/hオーバーでぶっ飛ばします。
最新型八気筒エンジンがうなりを上げます。
一方、警察の車は最高時速80キロ・・・勝負になりませんでした。
隣の州に逃げ込めば、管轄外で警察は追跡不可能!!
最新技術とスピード重視の新感覚ギャング・・・クライドとボニーは自由な道を走っていきました。

しかし、クライド・・・性格はかなり危険でした。
ある日、隠れ家に警官が近づくと、クライドはいきなりぶち切れ先制攻撃!!
しかも、とどめを刺すまで止まらない暴走タイプでした。
そんなクライドをボニーはどう思っていたのでしょうか・・・?
間近で見ていたものの被害者に全く同情していません。
彼女も狂っていると言えますが、撃ち合いで死ぬのはクライドか相手なので、仕方なかったのでしょう。
クライドを深く愛する反面、他の人はどうでもいい・・・その極端さがボニーの奇妙なところです。

1933年1月7日、やがて、地元新聞の一面にはクライドの顔と名前が大きく出るようになります。
・男はまず至近距離でショットガンを発砲
・被害者の警官は、心臓に9発の弾丸を受け死亡
・完全に危険な人物で、殺人に躊躇しない

警官殺しのクライド・・・その悪名は、南部の各地に知れ渡りました。
その一方で、風刺画も・・・
逃げ回るバロウギャングのフォードV8!!
翻弄される警察は笑いもの!!
クライドたちを隠れ家に提供する人が登場すれば、彼らの留守中警察が隠れ家で待ち伏せてしていると赤いライトで逃がす17歳の家政婦も!!
バロウギャングを密かに応援し、協力する庶民が次々と現れたのです。

さらに、16歳のウィリアムは、事件の報道でクライドに憧れギャングに参加。
スラム育ちで靴さえ持っていない若者が高級スーツを身にまとうように・・・。
こうしたギャング志願者が、次々とやってきたのです。
どうして人気があったのでしょうか??

4年前・・・1929年10月、ニューヨーク・ウォール街。世界恐慌が発生。
その影響は農村にも及び、多くの農民が苦しむことに・・・
抗議のデモを行えば警察に追い払われる・・・!!
理不尽な仕打ちに泣く人々の前に現れたのが、警察をあざ笑い自由気ままに逃げ回る女連れの若いギャング!!
誰かが行動し、政府や警察に反抗してほしいというスリリングな欲望が大衆にはありました。
しかも、当時の新聞やラジオにおいて犯罪はエンターテインメントとして重要な要素でした。
大衆もマスコミも、アンチヒーローを欲していたのです。
スラム育ちの運命を振り切ったクライドとボニーは、いつしか庶民の密かな憧れを背負うことになっていきます。

1933年4月1日、クライドとボニーたちは新たな隠れ家を手に入れます。
ミズーリ州の大都市ジョプリン・・・人目につく住宅街の2階建ての借家でした。
そこに合流したクラウドの実の兄・バック、その妻・ブランチ、そしてクライドに憧れる16歳のウィリアムの5人で共同生活を始めます。

ところが、理想の暮らしは儚く終わります。
入居から12日後の4月13日午後4時ごろ・・・
隠れ家を警官5人が包囲・・・全員が銃を持っていました。
気付いたクライドがぶっぱなしました。
わが家は一瞬で戦場となります。
また警官2名を射殺、傷つきながらも命からがら脱出します。
その後、警察が隠れ家を家宅捜索する映像が残っています。
ボニーたちが実際に使っていたもの・・・強力な軍用ライフル4丁など大量の銃器でした。
こうした遺留品が、2人の運命を大きく狂わせます。
2日後、地元新聞に遺留品の一部、クライドたちのプライベート写真が掲載されます。
自慢のフォードV8の前で銃を束にしてポーズを決めるクライド。
クライドと肩を組んでいるボニー・・・初めてボニーの姿が人々の目に公となりました。
この時点では、ガンマンと一緒に飛び出してきた女性とされ、名前は出されていません。
ところが、わずか2日後の4月17日。突然ボニーの名前と姿が全米に知れ渡ります。

「ボニー&クライド その生と死~自由で危険な恋人たち~」



事件現場から2000キロも離れた大都会ニューヨークのタブロイド紙が写真を掲載・・・
ボニーの新バージョンの写真が大特集されました。

・警察発表によると彼女の名はボニー・パーカー

さらに話題となったのは、口に葉巻、手には拳銃、車に足をかけた勇ましいボニーの姿でした。
かつてボニーが憧れていたフラッパーでさえ煙草でした。
女性が葉巻なんてありえない時代でした。
そしてオシャレなボニー・・・
話題の写真を各地の新聞が競うように掲載しました。
わずか4日で、カリフォルニアまで拡散されました。

当時のアメリカでは、葉巻も銃も男性がもつものでした。
ボニーは性別を超えた人間として人々に見られたのです。
保守的な社会から抜け出した「新しい女性」の代表。
ボニーのようなタイプも女性から絶賛されました。
かつて南部の町で、フラッパーや女優に憧れた女の子が、偶然決めたポーズによって全米女性の憧れとなったのです。

しかし、皮肉なことに、ボニーとクライドは突然有名人になり、顔と名前が世間にバレてしまいました。
顔を見られると通報されるため、食料を買うことも宿をとることもままなりません。
クライドたちは町から離れた場所でキャンプを張って夜を過ごし、缶詰などを食べて飢えをしのぎました。
いつも走り続け、時に1日1000キロ走りアメリカ各地を逃げ回ります。
放浪生活の野宿に耐え切れず、モーテルに2泊すると・・・銃撃。
仕方なく同じ場所で野宿を3日すると・・・警察に包囲!!
ブランチ逮捕!!夫のバックは銃撃戦で重症を負い6日後死亡しました。
求めていた自由が、幸せが消えていく・・・

1933年9月、テキサス州ダラス。
ボニーの母・エマにメモが届きます。
「ママに会いたい」
郊外で密かにボニーに会ったエマは、娘の変わりように驚きます。

「かわいそうなほどやせ細り、以前よりずっと年を取ってしまったように見えました 
 体中傷だらけでした」

自首してほしい・・・母の願いに答えます。

「私は彼を愛してるから、最期までそばを離れないわ
 どちらにしても、彼が死んだら私も死ぬわ」

1934年5月・・・アメリカ南部で新たな手配書が作られました。
クライドに加え、ボニーまで・・・遂に彼女もお尋ね者となったのです。
仲間のウィリアムも、逃亡生活に疲れ、離脱・・・逮捕。
かつて憧れていたクライドについて、蚊たる映像が残っています。

「私はクライドから殺すと脅され銃撃戦に参加させられました
 クライドは、人を殺すことに無慈悲で、自分勝手な人間です」

兄の死・・・自分を慕ってくれた若者からは見放され、そのうえ、ボニーとクライドを密かに応援する庶民が手のひらを反す出来事が起きます。

”テキサスの無法者が2人の警察官を殺害
  
 パトロール中の警察官2人は、道路に停車中の車にいた男女を発見
 尋問のため近づいたところ、予告なしで発砲された
 悪名高きクライドと仲間のボニーが容疑者として浮かび上がった”

この事件の再現映像が、ニュース映画として全米で公開されます。

ボニーが無抵抗の警官をひっくり返し、至近距離からトドメの一撃!!
あのボニーが・・・世間は失望します。

警官2名を殺したニュース映画によって、人々のボニーへの感情は「憧れ」から「大衆の敵」になりました。
ボニーは、非道徳な人間であり、ロマンチックな対象ではなく冷酷な人殺しだと!!
世間は2人を悪魔のように扱い始めました。
ボニーの詩が残っています。

「新聞や雑誌はウソばっかり
 2人はそれほど冷酷じゃない
 ガサツな性分は生まれつき
 警察だけは大嫌い
 それと密告者 監視人 裏切り者も」

この再現映像をきっかけに、世間の目はさらに厳しくなっていきます。

・カンザスシティーにて、バロウ一味の目撃情報
・異常な殺人鬼とその愛人を目撃

自由な道が閉ざされていきます。

2人の笑顔・・・その時間はもう長くないとボニーは感じていました。

「彼らは自分達が賢いとも絶望的だとも思わない
 法が常に勝つことを知っていた
 いつか2人はともに倒れ並んで葬られる
 一握りの者には悲しみ 法律にとっては安堵
 それがボニーとクライドにとっての死」

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1934年5月21日、ルイジアナ州警察に電話が入ります。

「ボニーとクライドの隠れ家は、ルイジアナ州北部の松林の中にある」

密告でした。
受けたのは、特殊捜査チームでした。
すでに犠牲者13人、そのうち警察官が8人も殺されていました。
目指すは、凶悪なギャングの殲滅!!

5月23日、ルイジアナ州ギブスランド。
ボニーとクライドのフォードV8は、人里から10キロ離れた森の中を進んでいました。
行き先は隠れ家!!

銃撃直後の映像が残っています。
発砲された銃弾167発。
ボニー・エリザベス・パーカー23歳。
クライド・チャンピオン・バロウ24歳。

フォードV8で街に運ばれてきました。
遺体に群がる人々、記念品にしようと髪の毛や衣服を切り取る人、クライドの指を切り持ち去ろうとする人・・・
現代で言えばスマホで写真に収めるのと同じ感覚です。
私は「ボニー&クライドの時代に生きていた」という証が欲しかったのです。

5月25日、クライドの葬儀・・・
ダラスの葬儀場には、多くの若い人が集まり、クライド・バロウの棺を取り囲みました。
多くの死と破壊をもたらした男の最期を一目見るために・・・。

2日に分かれた葬儀では、クライドに1万人、ボニーには1万5千人が集まったと言われています。
その後二人は故郷ダラス近郊で別々の墓所に葬られました。
並んで葬られたいというボニーの想いは、母親によって反対されたのです。
犯罪を犯すことによってしか得られることのできなかった恋人たちの自由は、永遠に封印されたのです。

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