永遠の若さ・・・アンチエイジング・・・人類はこの夢を追い続けてきました。
絶世の美女クレオパトラは、金や真珠の粉末が入った風呂に入り、永遠の美を追い求めました。
楊貴妃は、人の胎盤を不老不死の生薬として服用。
小野小町は恋の生き血をすすり、美と若さを保とうとしたといいます。
そして、20世紀・・・
猿の睾丸・・・精巣をスライスし、人間の精巣に張りつけるだけで若返ると主張する男が現れます。
フランスの外科医セルジュ・ボロノフです。
「人間を20~30歳若返らせることができる」と豪語し、大衆の支持を得ました。
感染症を引き起こし、死の危険もあるこの手術は、成功例だけを報告し、マスコミに宣伝します。
1920年代、一大ブームを巻き起こし、現代の魔術師と言われました。
10年間で、数万人が手術を受けました。
童話のメーテルリンクや画家のピカソも彼の手術を受けたと噂されています。
若返りを謳ったボロノフを紹介する映画も公開、その名は世界的に広まりました。
ボロノフ城と言われる巨大な邸宅に住み、富と名声を手に入れ、パリ社交界の人気者にのし上がります。
若返りという人間の欲望を追い求めたボロノフ・・・
そこにあったのは、科学者としての探究心??それとも名声欲だったのか??
「若返り」術誕生
セルジュ・ボロノフは、1866年、ロシア南西部にあるボロネジ州でウォッカ製造を営む家の次男として生まれました。
パリ万博に向けて、エッフェル塔の建設が急ピッチで進められていた1888年秋・・・
パリ大学医学部に入学します。
そこで、今も手術で使われる器具ペアン鉗子を発明した天才外科医ジャン=エミール・ペアンの助手となります。
数百回の手術に立ち会い、ヨーロッパでもトップクラスの外科技術を身につけました。
1893年、大学を卒業すると、婦人科を開業。
金に糸目をつけない上流階級の婦人たちに、当時非合法だった中絶手術を行い年間8万フラン・・・およそ2億円という高収入を得ていました。
1896年、師匠の天才外科医ペアンの推薦により、エジプトの君主アッバース2世の宮廷医となります。
腕が良かったことから、14年間勤めあげました。
1910年、44歳でフランスに帰国したボロノフは、開業医を続ける中で呼んだある論文に衝撃を受けます。
血管を縫い合わせる手術・・・血管吻合で有名になっていたアレクシス・カレルの論文です。
早速、カレルに手紙を出します。
”あなたの興味深い論文を読みました
私は昼間は診察で忙しいため、夜に研究しています”
この頃から、ボロノフは研究者として名声を得たいと考えるようになります。
ボロノフは、外科医としてカレルを尊敬していました。
それで、彼がいたアメリカまで渡って、カレルから技術を学んだのです。
1912年、そのカレルが、血管吻合手術の功績でノーベル賞を受賞。
刺激を受けたボロノフは、研究に専念することを決意します。
ボロノフは、自尊心が強い人間でした。
カレルがノーベル賞を受賞した時、どうして自分ではないのか・・・考えました。
後に、和k帰りの手術を始めたとき、
「必ず歴史に名を残すことをやるぞ」と、奮起したのです。
1914年、第1次世界大戦が勃発・・・
ボロノフは、フランスの軍医として従軍したのち、まだ戦火が続く1917年4月、フランスの最高権威コレージュ・ド・フランス生物学研究所に入ります。
そこで取り組んだのが、若返りの手術でした。
きっかけは、エジプトの宮廷時代に強く印象に残っていたある事・・・。
それは、去勢され、精巣を失った宦官たちの姿でした。
いずれも実年齢以上に老けており、しかも短命でした。
「精巣には生命力に関わる何かがる」
ボロノフは、未発表の自伝に、その時の思いを綴っています。
”エジプト時代から、精巣の不思議な力を年老いた人間の役に立つようにしたいと考えていた”
男性の精巣は、認知機能や肉体の発達に重要な役割を担っています。
ボロノフは、外科医としては本当に天賦の才能を持っていました。
宦官の老化が早いことに気付き、その原因を精巣がないことと結びつけたのですから、そして、老化が始まったとき、若い精巣を張りつければいいのではないかと発想したのです。
精巣による若返り手術・・・
大きなヒントとなったのは、カレルが1912年に行った実験・・・不死の細胞でした。
ニワトリの心臓細胞を栄養培地で生かし続けましたのです。
これは、栄養を補給する培養液さえあれば、細胞は生き続けることを意味していました。
ボロノフは考えます。
精巣は、豊富なリンパ液で包まれている・・・
このリンパ液が培養液の代わりになるのではないか??
実験には、老化の兆候が観察しやすいという理由で、羊が使われました。
選んだのは、推定年齢10~12歳の雄羊、およそ20頭です。
人間の年齢では、70~80歳に当たります。
中に、研究所に来た当初、震えが止まらず失禁をするほど老衰の症状を表していた羊もいたといいます。
この年老いた羊を、若返らせる実験が始まりました。
発情期が始まったばかりの若い羊から精巣を取り出します。
次に、取り出した若い羊の精巣を3mmほどの厚さにスライス・・・
そのスライス片を、年老いた羊の精巣に張りつけるように起きます。
リンパ液が培養液変わりとなって、スライスした精巣は生き続け、年老いた羊の精巣と一体化する・・・!!
こうして、若い羊の生命力を得て、年老いた羊は元気になるとボロノフは考えました。
実験から数週間後・・・
手術が終わった羊のうち、活力を取り戻したものがいました。
羊毛が伸び、性欲も復活!!
数か月後には、子どもも作ったといいます。
年老いた羊に、若い羊の精巣を張りつけるなんて、実際にはできません。
そもそも、手術を受けた羊が、本当は何歳だったのか、正確にはわかっていません。
ひょっとしたら、弱っていた若い羊がより良いケアを受けて、体調が回復しただけかもしれません。
実験の成功を信じていたボロノフは、手術から1年後、張りつけた若い羊の精巣は生き続けているか確かめるため、年老いた羊の精巣の細胞を取り出し、顕微鏡で調べようとしました。
ボロノフが検査を依頼したのは、細胞学の権威エドアー・ルテレールでした。
ルテレールは、”手術後も細胞は拒絶されずに生きている”と証言します。
第一人者が認めたことで、ボロノフの実験は、強力な後ろ盾を得ました。
さらにボロノフは、ここである作戦を決行します。
学会の前日、これまでの研究内容をマスコミにリークし、注目度を煽ったのです。
1919年10月、フランス外科学会の年次総会で、ボロノフはルテレールの検査結果も含めて論文を発表します。
そこでは成功例だけを報告・・・失敗例は取り上げませんでした。
学会の反応は懐疑的でしたが、マスコミは違いました。
ニューヨークタイムズがボロノフのインタビュー記事を掲載し、動物の若返り手術で目覚ましい結果を出したと紹介します。
記事の中でボロノフは、”人間にも近々行うつもりだ”と答えました。
このニュースが、全世界に配信されます。
ボロノフは、現代の魔術師と呼ばれ、一躍時代の寵児となりました。
ボロノフは、学会で評価されなかった分、新聞を巧みに利用しました。
科学者であれば、本来は言葉でマスコミに語るよりも、実験や研究で示すべきです。
「若返り手術」狂騒曲
ボロノフの若返り手術がマスコミに注目されたのは、当時の時代状況が大きくかかわっていました。
第1次世界大戦では、フランスだけで140万人の若い兵士が命を落としました。
出生数も、大戦前のおよそ半数に落ち込んでいました。
人々は、ボロノフの画期的な手術が、人口減少を解決してくれるのではないかと期待しました。
この頃、世界中の科学者たちが、人間の若返り手術に取り込んでいました。
1919年、アメリカ・サンクエンティン刑務所の医師レオ・スタンレーは、死刑囚の精巣を60歳の囚人に張りつけます。
囚人は、刑務所内のスポーツ大会で好成績を収めたといいます。
カンザス州の開業医ジョン・ブリンクリーは、子供ができない男性にヤギの精巣を張りつけ子供を作ることができたと宣伝しました。
1920年6月・・・後れを取ったボロノフは、ついに人間の若返り手術に取り掛かりました。
使ったのは、チンパンジーの精巣・・・血液型などが人間に近いという理由でした。
手術したのは二人・・・45歳と65歳でした。
どちらも感染症を引き起こし、失敗・・・!!
ボロノフは、人間に手術したことを隠し、公表しませんでした。
ボロノフは、年老いた羊を若返らせたのだから、人間にもできると自信を持っていました。
だから、人間の若返り手術が失敗したことを認めたら、自分の理論が崩れると思い、もう少しデータが取れるまで発表を待ったのです。
失敗から1月後・・・彼の助手のエブリン・ボストウィックと結婚。
彼女は、世界最大級の石油会社の大株主の娘でした。
経済的な後ろ盾を得たボロノフは、この年の暮れ、人間の若返り手術を実施すると大々的に発表します。
手術も無料で行うことにしました。
集まった患者は、33歳から66歳までの4人。
結果は、全員の認知能力と体力が向上し、4人中3人に性行為の回数が増えたといいます。
ボロノフは、その後2年をかけて、12人に手術を行います。
中でも最も成功したという患者は、エドワード・リアド・・・75歳のイギリス人でした。
手術前の彼は、慢性のアルコール依存症の上に糖尿病で、杖を突かなければ歩けないほど太っていました。
しかし、手術後、別人のように変身。
しわが消え、肌に張りが出てきました。
自信をつけたボロノフは、またしてもマスコミを利用します。
1922年6月、ニューヨークタイムズに近いうちに若返り手術の成果を論文にまとめ、学会に報告するつもりだと語りました。
”人間を20~30歳、若返らせることができる”byボロノフ
人類の夢・・・若返りがボロノフによってついに現実のものとなります。
ニューヨークタイムズの記事に、世界が注目しました。
「若返り」に対する人々の期待は高まっていました。
ボロノフも、大きな可能性を感じていました。
なんとしても成功させ、ノーベル賞を取りたかったのです。
しかし、マスコミの力を利用するボロノフのやり方に、フランス外科学会は反発!!
1922年フランス医学会議では、ボロノフは研究内容の一部を新聞に載せたという理由で、会議での論文発表を禁止されます。
論文発表は、未発表のものに限るという学会に規定に触れたのです。
ボロノフは、わずか3秒の記事で、私の論文内容が伝わるわけはないと反論。
騒然となった議場を、一人の男が黙らせます。
ボロノフの手術を受けたリアドでした。
リアドは、
「手術後は生まれ変わったようだ
今ではフェンシングやテニスを楽しんでいる
この私の姿が何よりの証拠だ」と胸を張りました。
この様子を、再びニューヨークタイムズが取り上げます。
77歳のリアドは、55歳にしか見えない!!
ボロノフは、写真が証拠となると考え、それを度々利用しました。
若返ったのが何が原因なのかはわかりません。
ボロノフは、手術の前後にホルモン検査をして比較対照すべきでした。
そうすれば、科学的な証明になるはず・・・写真だけでは全く証拠にはなりませんでした。
さらに、ボロノフは、学会に対してダメ押しの一手を打ちます。
羊の実験で精巣を調べてもらった細胞学の権威エドアー・ルテレールと共著で論文を執筆したのです。
翌年の2月、フランスの生物学会は、この論文「チンパンジーの精巣の構造とその移植の生理的効果」を受理。
権威ある医学誌にも論文の全文が開催されました。
これは、ボロノフの研究が、公式に認められたことを意味しました。
若返りの手術を紹介する映画も公開、ボロノフは、若返りの権威となり、多くの患者が押しかけました。
最初は無料だった手術費用は、7500フラン、1万5000フラン・・・現在の価値で860万円に跳ね上がりました。
それでも、1926年の1年だけで、1000人以上に手術。
童話「青い鳥」の作者メーテルリンクや画家のピカソ、フランスの元首相クレマンソー、トルコ独立運動の英雄・革命家アタチュルクなど、大物もボロノフの患者だと噂されました。
その傍ら、ボロノフは教えを乞う外科医に手術法を惜しげもなく公開、ボロノフ式手術は、30人に及ぶ弟子たちによって、世界15カ国に広まりました。
世界一有名となったボロノフ・・・パリの高級ホテルのスィートルームに住み、社交界の人気者となりました。
ボロノフの生涯は、1920年代のアメリカの大富豪を描いた小説「グレート・ギャッツビー」そのもので、彼の名は世界中に広がりました。
地位や富はもちろん、大衆の指示、とりわけ女性の人気を集めました。
一代で、人生のすべてを手に入れたのです。
1926年、ボロノフは、フランス政府から最高の栄誉レジオンドヌール勲章を送られます。
ボロノフ60歳・・・人生のピークを迎えます。
地に落ちた「若返り手術」
人間の若返り手術を行っていた同じ日、ボロノフはフランス政府の要請を植民地のアルジェリアで大規模なプロジェクトを立ち上げていました。
羊毛と羊肉の増産プロジェクト・・・3000頭の羊を使った増産計画です。
ボロノフの若返り手術の出発点となった1917年の実験は、年老いた羊を若返らせることが目的でした。
今回は、若返り手術によって、より生産性の高い品種を作り出そうというのです。
選ばれたのは、生後3、4カ月の子羊・・・
この子羊に、発情期を迎えた若い羊の精巣スライスを貼り付けます。
1年後、手術した羊に第二世代を繁殖させます。
この子羊に、また若い羊の精巣スライスを貼り付ける・・・
これを繰り返します。
元気で体格のいいスーパーシープを作ろうというのです。
実験の結果、第3世代では明らかな違いが生まれました。
生後5カ月のスーパーシープの平均体重は、38.5kg・・・同世代の平均体重は30kg・・・8キロ以上重く、羊毛では500g多かったとボロノフは報告しています。
理論的には、スーパーシープ5000頭作れば、食肉35t、羊毛2500kg増産できると豪語しました。
果たして・・・スーパーシープは本当なのでしょうか?
1927年11月、イギリスを中心とする6カ国による調査団がアルジェリアに入りました。
調査団は、手術したグループとそうでないグループ・・・そしてそれぞれから生まれた子羊を見せられました。
確かに手術したグループの羊は体も大きく健康的でした。
しかし・・・調査団の中に疑念を抱く者がいました。
イギリス・エジンバラ大学の動物育種研究所所長フランシス・クルーです。
クルーが疑ったのは、グループ分けした羊のデータが、明らかにされていなかったからです。
科学実験では、手術する羊とそうでない羊をランダムに選ばなければなりません。
もし、立派な体格の羊たちを選んで手術すれば、手術の効果に関係なく体格の良い子羊が生まれるのは当たり前です。
ボロノフの手術法が有効かどうか確かめるため、クルーは自ら再現実験を行います。
結果は、すべて失敗・・・
”手術の効果について決定的な証拠を見つけることは不可能でした。”
と、イギリス政府に報告しました。
1年後、そのクルーのもとに1通の手紙が届きます。
差出人は、モロッコの獣医、現地の繁殖ステーションの所長アンリ・ヴリュです。
手紙には、論文が同封されていました。
ボロノフの実験を追試してまとめたものでした。
結果はクルーと同じ、効果なし。
さらにヴリュは、手術した羊のうち4頭の羊の精巣を顕微鏡で確かめると・・・
貼り付けたスライス片は、全て死滅、もしくは消滅していました。
細胞は生きているといったルテレールの報告は間違いだったのです。
この頃、南アフリカとオーストラリアでボロノフと同じ実験が大規模に行われていました。
しかし・・・何一つ有益な結果は得られませんでした。
1930年に南アフリカが、1931年にオーストラリアが、相次いで実験を中止します。
手術に効果がないことが世界に知れ渡り、ボロノフの信用は大きく失墜しました。
そして、もともと羊から始まった人間の手術にも、疑問の目が向けられるようになります。
学会を黙らせたリアドの若返り・・・そこにはある仕掛けがあったのです。
ボロノフの治療法は、催眠術のようなものでした。
患者は、手術の2週間前から禁酒、禁煙、健康的な食事をとり、ストレスのない生活を送る・・・
この間に、多くの患者の体質が改善される・・・
2週間の健康的な生活を終えて通されるのが、当時最先端の手術室でした。
ここでボロノフは、手術の効果を謳いあげます。
「スライスした猿の活力ある精巣が、あなたの精巣と一体化し、衰えたあなたの生命力を蘇らせるのです」byボロノフ
術後、2週間ほどして退院すると、患者たちは別人のように爽快な気分になっていました。
思い込みによる改善効果・・・ブラセボ効果です。
患者には、長い待機期間がありました。
その間、ボロノフの本を読み、手術を受けた患者のビフォーアフターの写真を見て待ちます。
高級なクリニックで、医者達も親切・・・
ボロノフが登場し、カリスマ的存在で説得する話術を持っていました。
ボロノフ自身が、プラセボ効果の重要な構成要素のひとつでした。
一世を風靡したボロノフの若返り手術・・・
1930年代に入ると、急激に信用を失い、弟子たちも手術を辞めていきました。
1951年、ボロノフは、足の骨折をきっかけに体調を崩し、その後心不全で死去・・・
享年85。
ほとんどの新聞は、記事にもしませんでした。
その中で、1920年代、ボロノフの主張や業績を取り上げ、若返りブームに一役買ったニューヨークタイムズは訃報を掲載します。
”ボロノフ博士は、サルの精巣を使った若返りで有名になった
だが、彼を信じる人はほとんどいない”
しかも、ボロノフの名前のスペルさえ間違えていました。
人々から忘れ去られ、随分と苦しんだようです。
晩年は、身内以外に友達もいませんでした。
それが彼を大きく傷つけました。
ボロノフは、科学的な考えと全く相容れませんでした。
自分の夢の中に生きていたのです。
アンチエイジングの夢は終わらない
ボロノフの死から70年・・・生命科学や遺伝子工学の進歩で今、若返りの夢・・・アンチエイジングは、廊下を食い止めるという新たな段階へ入ろうとしています。
カギとなるのは、染色体の末端にあり、DNAを保護する役目があるテロメア。
テロメアが無くなると、細胞の老化が進むことがわかりました。
さらに、テロメアが無くなるのを防ぐ・・・廊下を食い止める遺伝子が発見され・・・長寿遺伝子と呼ばれるサーチュイン遺伝子です。
発見したハーバード大学生物学のグループ、デビッド・シンクレアによると・・・
実験では、生後20カ月・・・人間でいえば60歳のマウスにサーチュイン遺伝子を活性化させる薬を投与します。
1週間後、それまで1キロしか走れなかった恒例のマウスが、3キロ以上も走り続けました。
サーチュイン遺伝子が働き、若さを取り持出したのだといいます。
アンチエイジング研究の第一人者・細胞生物学のミロスラブ・ラドマン
現在、健康寿命を延ばす画期的な薬を開発中です。
「まず約束できることは、近い将来私たちは、120歳、130歳まで健康なまま生きられるということです
成功すれば、私たちは病気にならずに済み、製薬会社は倒産するかもしれません」byラドマン
センテナリアンと呼ばれる100歳以上の長寿者たち・・・
1960年には世界中で2万人でしたが、2020年には57万人以上となりました。
老化は病気の一種・・・だから、治療できる!!
そんな時代が来るのでしょうか??
アンチエイジング・・・永遠の若さを求める人類の欲望は止まらない・・・!!
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