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時は1863年4月、攘夷を促す勅書に窮した幕府が、「攘夷の期限は5月10日」と宣言したので・・・
長州藩は5月10日、藩兵を下関に終結させます。
以降、関門海峡を通りかかった外国船をかたっぱしから砲撃しました。
だから・・・64年8月5日イギリス・フランス・オランダ・アメリカの4か国連合艦隊が下関を襲撃しました。
これに対して長州藩の大砲は、連合艦隊に全く役に立たず・・・
たった二日で砲台はすべて制圧されてしまいます。
高杉晋作が講和使節となって8日には集結しました。
この時あった長州藩の大砲は、117門とも150門とも言われています。
しかし・・・現在も残っているのは木製砲一門を例外として、青銅器製の大砲はすべて戦利品として連合艦隊に持ち去られてしまいました。
奪い取った大砲は、70門とも109門とも言われています。
その後は定かではないものの・・・フランスに渡った大砲のひとつは、1984年、ミッテラン大統領の決断で日仏友好の印として里帰りしています。
鋳つぶされたものも多いようですが、アメリカ・ワシントンの海軍記念博物館にも展示されています。
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