今から半世紀前・・・人類は、地球を飛び出し、未知の世界に乗り出しました。
宇宙へ~~!!
しかし、その挑戦は、あまりにも危険なミッションでした。

まず、誰もが思い浮かべるのは、アポロ11号の月面着陸です。
1969年7月20日・・・人類は、初めて月に降り立ちました。
全世界に生中継された船長アームストロングの姿・・・そして、あまりに有名なあの言葉・・・

「一人の人間にとっては小さな一歩だが
           人類にとっては大きな飛躍だ!!」

しかし、着陸があと十数秒遅れていたら、偉業は大惨事になっていたかもしれません。
謎のエラー音が鳴り響き、想定外のトラブルが次々と発生!!
地球の管制室がパニックになる緊急事態!!
一体、何が起きたのか・・・??

アメリカ・ニューヨーク・・・
アポロ11号月面着陸50周年、イベント会場にいた男・・・チャールズ・デューク・・・
50年前チャールズは、管制室がアポロ11号に迫る危機を肌で感じていました。
一瞬の判断が命取りになる中、どうやって結面着陸を成功させたのでしょうか??
1969年7月16日、アポロ11号打ち上げ!!
世紀のミッションは幕を開けました。
乗組員は3人の宇宙飛行士・・・船長ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズ。
人類を月へ送る・・・この壮大な計画は、1961年に始まりました。
NASAは、宇宙飛行士の候補として、空軍や海軍からエリート中のエリートを選抜しました。
チャールズ・デュークも宇宙飛行士・・・アームストロングの4年後輩にあたります。
宇宙飛行士は、宇宙に出る前、1年間管制室で経験を積む必要があり、チャールズは交信担当になっていました。
現場の指揮権は船長のアームストロングにあり、ヒューストンの管制センターは宇宙飛行士に適切な指示と情報を与える・・・
しかし、宇宙船に情報を伝える役は、ただ一人・・・交信担当の宇宙飛行士でした。
同じ訓練を受け、同じ知識を持つ者にしかできない仕事・・・チャールズがこの重要な役割に抜擢されたのは、アームストロングが深く関係していました。
アームストロングから直々に頼まれたのです。

「君は、10号で素晴らしい仕事をした
 是非、11号でも担当してほしい!!」と。

月面着陸の最終リハーサルとして、1969年5月18日にアポロ10号は打ち上げられました。
着陸船のテストの際、トラブルが発生していました。
宇宙飛行士の操作ミスで、機体が激しく回転!!
この時、チャールズは地球から素早く、的確な対応策を伝えました。

「期待が大きく回転しているが、手動で姿勢をコントロールできる」byチャールズ

これを評価したアームストロングは、命を預ける相手としてチャールズを選びました。
チャールズもまた、アームストロングには絶大な信頼を持っていました。

地球を出て4日目、アポロ11号は月の軌道に入りました。
いよいよ着陸準備にかかります。
ついに迎えた運命の7月20日!!
着陸直前の緊迫した様子が、20018年に公開された交信記録に残されています。

「動力降下開始」byチャールズ

着陸船イーグルで月に降りるのは、アームストロングとオルドリン!!

月と地球との交信は、1.3秒の遅れが生じます。
もし、イーグルに何か起きた場合、すぐに指示を出さなければならない!!
チャールズは万一に備えます。

「我々のいる位置を確認してくれ」byアームストロング
「了解、正しい位置にいる、すべて順調だ」byチャールズ

開始から5分・・・冷静なアームストロングの声が突然変わりました。

「プログラムアラームだ!!」byアームストロング

イーグルではエラーのアラームが鳴り続けていました。

「1202、1202の意味を教えてくれ!!」byアームストロング

各部署が焦って一斉に知らせます。
そしてコンピューターの担当者が素早く反応しました。

「コンピューターのオーバーフローだが、二度と起こらなければ問題ない」

実はこのエラーは、オルドリンのある操作が招いたものでした。
月面と着陸船の位置関係を測定するレーダーだけを使う筈でしたが、司令船用のレーダーもオンにしていたため、情報が増えオーバーフローが起きたのです。

「問題ない、着陸はGOだ!!」byチャールズ

しかし、すぐに新しいトラブルが・・・!!
予定していた場所は、岩やクレーターで着陸不可能!!
とっさにアームストロングは操縦を手動に切り替え、別の目的地を探します。
しかし、なかなか着陸できません。
そして、最大の危機に直面します。
余計な燃料を使い、燃料切れになりそうでした。
あと60秒でイエローカード、30秒を切ったらレッドカードです。
予定よりも飛行距離が伸びた・・・
ギリギリしか積んでいない燃料は限界に・・・!!
非常事態にざわめきたつ管制室・・・!!
しかし、チャールズは・・・同じ宇宙飛行士として、この時アームストロングが何を考えているのか?同じ気持ちになって考えました。
同じ状況を作り出そうとしたのです。
そして、宇宙飛行士にではなく、管制室に向かって言いました。

「我々は静かにしていよう」byチャールズ

アームストロングならこの事態を乗り越えてくれる・・・彼にはそれだけの経験があると信じていました。

1968年5月6日、月着陸訓練・・・
アームストロングが乗る月着陸訓練機に吹き付けた強風・・・期待があおられ制御不能に!!
墜落直前、アームストロングは脱出!!
命を落としかねない事故でした。
それでもこの訓練が必要だと考えたアームストロングは、誰よりも長く直前まで訓練を続けていました。
ここから先は、アームストロングを信じて任せるしかない!!
チャールズの指示で静かになった管制室・・・
イーグルは予定されていた着陸地点を6キロも超えて飛び続けていました。
残された燃料はあとわずか・・・緊張が高まります。

「こちら”静かの基地”イーグルは着陸した」byアームストロング

残された燃料は、17秒分でした。

この後、いよいよアームストロングが月面に降り立つ・・・!!
世紀の瞬間が、全世界のテレビで生中継される!!
日本でも特別番組がスタートしていました。
しかし、ハプニングが・・・!!
世界中に放送され映像は、上下さかさまでした。
テレビカメラの位置に問題がありました。
取り付けられていたのは格納庫・・・
カメラはさかさまに設置されていました。
テレビ中継を担当したエド・トーキントン・・・カメラがどう取り付けられているのか正確な情報がわからないままの本番でした。
しかし、エドは、万が一に備えて中継地にボタンを押すだけで反転する装置を取り付けてもらっていました。
そのおかげで、すぐ映像は反転され正常の戻りました。
まさに、その数秒後!!

「月面に踏み出す
 一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ!!」byアームストロング

人類が一つとなって、未来への大きな一歩を踏み出した瞬間でした。
何億人もの人々が見守る中、月面着陸は大成功を果たしました。
互いを信じたチャールズとアームストロング、実は二人はある約束を交わしていました。

「着陸に成功したら、その場所を”静かの基地”と呼ぶよ
 秘密のコールサインだ」byアームストロング

このことを知っていたのは、3人の宇宙飛行士とチャールズだけでした。

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1961年4月12日、人類は初めて宇宙に飛び出し、地球を一周しました。
宇宙船の中にいるのはソビエトの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン。
当初宇宙開発は、アメリカよりもソビエトが先んじていました。

「地球は青かった」の言葉は、あまりにも有名です。
しかし、偉業達成後、ガガーリンはどうなったのでしょうか?
7年後・・・34歳の若さで他界・・・
突然の英雄の死に、様々な憶測がささやかれました。
英雄の栄光と知られざる苦悩とは・・・??

半世紀前、ソビエト社会主義共和国連邦と呼ばれる国がありました。
鉄のカーテンに閉ざされ情報もうかがえない謎の国!!
1961年4月12日、そのソビエトが突然世界初有人宇宙飛行!!

「地球が見える、なんて美しいんだ!!」

一夜にして、突如全世界に注目される英雄となったガガーリン。
しかし、この後、ガガーリンは奇妙なことを語っています。

「宇宙に飛んだ重圧よりも地上での重圧の方がつらい」byガガーリン

モスクワの北東に位置する星の街。
半世紀前、秘密基地で場所も公表されませんでした。
ガガーリンの友人ボリス・ボリノフは、ガガーリンと共に訓練をした宇宙飛行士です。
人類初の宇宙飛行士の候補生としてソビエト空軍が誇るエースパイロットが集められました。
しかし、当時宇宙に行くことは秘密・・・トップシークレットにされていました。
命がけであることは理解していました。
候補生たちを待っていたのは、味わったことのない過酷な訓練でした。
遠心加速器に乗せられました。
負荷は重力の12倍・・・12G !!血流すら重く感じるほどでした。
多くの脱落者が出る中、ガガーリンの存在は大きな励みになりました。

「ガガーリンは、どんなに苦しい訓練でもいつも笑顔でチームのムードメーカーでした
 笑い話をしたり、誰かをからかったりして大笑いしました
 弱音を吐いたときは、ガガーリンがそうやってみんなを鼓舞してくれました
 彼がいたから前向きになれた」byボリス

初めて宇宙船を見た時、ガガーリンは「中に入ってもいいですか?」とためらいなく乗り込んだといいます。
いつも笑顔で、茶目っ気タップリの明るい青年でした。
しかし、人類初の宇宙飛行は危険に満ちていました。
実験的に宇宙に送られた犬は、心拍に異常をきたすなど半数が死亡。
宇宙区間が生物に与える影響はいまだはっきりしませんでした。
さらに、ロケットにも問題が・・・
70名以上が死亡し、航空機事故と発表されましたが、しかし、それはロケットエンジンの爆発だったことが分かっています。

時は”米ソ冷戦”の真っただ中!!
ソビエトがその国力を証明する為にアメリカと競っていたのがロケット開発でした。
1957年10月4日世界初の人工衛星スプートニクを飛ばし、先んじたのはソビエト!!
しかし、アメリカもすぐに追いかけます。
1958年10月1日NASA設立!!
その競争は、どちらが先に宇宙に人類を送り込めるかで絞られつつありました。
みな、祖国の栄光のために、命がけで挑んでいました。
打ち上げの2日前、人類初の宇宙飛行士が選ばれる!!

「宇宙に行く最初の人物は、ユーリ・ガガーリン!!」

労働者階級の出身、そして小柄であることなどが決め手でした。

1961年4月12日、ボストーク1号発射!!
人類が初めて地球を見た瞬間でした。
2日後の4月14日、盛大なセレモニーが開催されました。
108分の飛行は、27歳の若者をソビエトの英雄にしました。
しかし、その瞬間から彼の人生は政治に翻弄され予想だにしなかった方向へと突き進んでいきました。

アンドレイ・ヴァヴィーロフは、外務省でガガーリンの通訳をしていました。
彼が見せてくれたまだ誰にも見せたことのないフィルムには・・・。
政府の要請で、インドを訪問した時の映像がありました。

「ガガーリンを一目見ようと、演説に50万人が駆けつけました
 インド人には、宇宙から帰って来た彼が、天から舞い降りた神様に見えたのかもしれない」byアンドレイ

ガガーリンの飛行は、社会主義国家の力を宣伝する格好の材料でした。
偉大な功績をアピールするため、ガガーリンは世界中に派遣されることになります。
世界中から英雄扱いされる自分を、ガガーリンはどう思っていたのでしょうか??

ガガーリンの姪・・・タマラ・フィラトワによると・・・
ガガーリンは英雄になりたかったわけではありませんでした。
自分よりも他人を第一に考える人でした。

「宇宙に飛んだ重圧よりも地上での重圧の方がつらい」
 
英雄という重圧に、ガガーリンは追いつめられていきます。

「居心地が悪いんです
 だって、みんなが僕をスーパーヒーローにしようとしているから
 人を理想化すべきじゃない
 病気になりそうです」byガガーリン

彼の唯一の希望は、もう一度宇宙飛行士として任務につくこと・・・。
しかし、その願いも、思わに形で奪われることに・・・。
初飛行から6年後、ガガーリンは次の打ち上げ機の予備のパイロットに選ばれます。
正パイロットは、親友のコマロフでした。
しかし、ソユーズの開発は難航・・・飛行直前にもかかわらず、改善すべき欠陥が、203にものぼる有様でした。
ガガーリンは、危険すぎると打ち上げ中止を訴えたが、受け入れられません。
その時、親友のコマロフは悲壮な覚悟を決めていました。
打ち上げ直前、コマロフにあった人物がこう証言しています。

コマロフの妻は「飛ばないで!!」と言っていました。
でも彼は、
「行かなければならない
 自分が断われば、ガガーリンが飛んでソ連の英雄が死ぬことになる」
苦し気に泣いていました。
打ち上げは、強行されました。
しかし、地球への帰還の途中、パラシュートが開かず宇宙船は地面に激突!!
1967年4月23日、コマロフ死去
親友が事故死した後、ガガーリンは政府から告げられています。

「君を宇宙に行かせることは二度とない」と。

親友の死に耐えていたガガーリン、宇宙に行く夢と親友を同時に失ってしまいました。
ガガーリンが、戦闘機の訓練中に事故を起こし、亡くなったのはその1年後のこと・・・34歳でした。
気球を避けようとしたとも他の戦闘機を避けようとしたともいわれていますが、今なお、真相は明らかになっていません。

宇宙飛行士の夢を絶たれたガガーリンは、エンジニアとして宇宙開発に携わるべく勉強していました。
ガガーリンは、新たな目標に向かって夢や希望にあふれていました。
ガガーリンの死から1年後、アポロ11号が打ち上げられました。
アームストロング船長が、人類史上初めて月面に第一歩を踏み出します。
ガガーリンの友人・ボリノフは、国際会議の席上でアームストロング船長を固い握手を交わし、彼のある言葉に心を震わせました。

「私たちみんなに対し、星々を目指すように求めたのは、あのガガーリンだった」byアームストロング

宇宙へのあくなき挑戦・・・栄光の裏にはいくつもの危機がありました。
月面着陸から1年後の1970年4月13日。
宇宙での大事故が発生します。
アポロ13号が月に到達する直前、管制室に緊急メッセージを送ってきました。

「問題発生の模様!!」

突然船体が爆発、メインエンジンが使用不可能に・・・!!
事故が起きたのは、地球から32万キロの彼方・・・!!
絶体絶命の危機に陥りました。
それを救ったのは名もなき男たちでした。
動くこともままならず、宇宙空間を漂い始めたアポロ・・・船内には、3人の宇宙飛行士・・・!!
しかし、アポロ13号は絶体絶命から奇跡の生還を果たします。
その陰には、NASAのエリートだけでなく、全米各地のエンジニアの知られざる努力がありました。
宇宙飛行士が生きて戻るまでは緊迫の87時間!!

1970年4月11日、アポロ13号打ち上げ!!
月のサンプルを集めるため打ち上げられました。
4月13日、夜9時7分・・・爆発音が!!

「ヒューストン、問題発生だ
 主電源Bが電圧低下」byアポロ13号

その時の管制室は大混乱!!
いろんなボタンが赤く点滅し、何が起きたのかわかりませんでした。
爆発音から13分後・・・

「窓から外を見ると、何か噴き出しているようだ
 何かガスのようなものだ」byアポロ13号
 
起きていることが、クルーの生命に関わることだということははっきりとしていました。
爆発したのは、支援船内部にある酸素タンクのひとつ!!
エンジンを損傷した可能性があり、その場合、点火すれば船体ごと吹き飛んでしまう!!
助かる道はただ一つ・・・
予定通り月を周回し、月の引力を使って加速し帰還するルートです。
しかし、あまりにも遠い道のりでした。
動力はおろか、酸素、電力が失われる中、アポロ13号は地球まで持つのか・・・??
アポロの中でぜったに守らなければいけないのは司令船!!
地球に戻る時、大気圏で焼けるような温度になっても耐えられるのはこの部分だけでした。
そこで、司令船の電力を温存するため、クルーを急遽、月着陸船・アクエリアスに避難させました。
切り離して動くために、電力も酸素も独立したシステムになっているからです。
なんとか急場をしのぐも、大きな問題が立ちはだかっていました。
爆発の衝撃で、本来の軌道から外れていたのです。
軌道修正しようにも、メインエンジンは損傷した可能性があり使えません。
そこで目をつけたのは、アクエリアスの小さなエンジンでした。
しかし、そのエンジンは月に着陸するための降下用・・・
一度使うためだけの設計でした。
軌道修正できるだけの性能とパワーがあるのか??
困惑するNASAに、カリフォルニアから情報がもたらされます。
アクエリアスの円陣を開発した総責任者ジェラルド・エルヴェラムでした。
NASAからすぐにエンジンを噴射したいといわれ・・・即座に
「噴射は20秒ほどだったら問題ない、推力は自由に調節してもいい」と言いました。
事故から5時間半後・・・エンジンは噴射されました。
軌道修正は成功!!
しかし、前途は多難・・・頼みの綱はアクエリアス!!
その小さいエンジンはどれだけ持つのか??

エルヴェラムは、8年前からこのエンジンにかけてきた男!!
自らNASAに売り込み、開発、アクエリアスのエンジンには、特別な思い入れがありました。
エルヴェラムは即座に動き始めます。
あらゆる事態を想定してデータを洗い出します。
さらに、右腕をヒューストンに送ります。
アクエリアスのエンジン担当ドン・ハーヴィーです。
管制室につくなり、ある問題を突き付けられます。
地球に向かう速度を上げられないか??
電力は残りわずか・・・このままでは宇宙飛行士の命が危うい・・・エンジンを噴射して加速したいが・・・あとどれだけ使えるのか・・・??

問題は、エンジン内部にある断熱シールドでした。
何回の燃焼に耐えられるのか・・・??
エンジンを点火する時、その高熱からエンジンを守るために断熱シールドが・・・この耐久性がネックになる!!
カリフォルニアのエルヴェラムと協力し、データを洗い直します。
一方、ニューヨークでもアクエリアスを設計した現場の男たちが動いていました。
アクエリアスの管理責任者ジェラルド・サンドラ、設計デザインマーティ・フィンクルマンは、なんとかエンジンを持たせられないか・・・極限まで電力を節約する方法を検討します。
電力の残りは2日分・・・
しかし、地球までは最低4日かかる・・・!!どうすれば・・・!!

NASAに何かを伝えても、業者か言われるのは嫌そうでした。
そこで、NASAの上層部に連絡し、彼らの指示に従えといってもらいます。
マーティたちは、現場の知恵を結集し、大胆な節約プランを練り上げます。
通信装置遺骸ほとんどすべてをOFF・・・命綱のナビゲートシステムさえもOFFに!!
一番の難題は、NASAの人間に彼らが定めた限界が絶対ではないと説得することでした。
エンジニアたちは実験で、NASAが知らないデータを持っていました。
しかし、彼等は規定外のことがしたくない・・・
この温度は超えるな!!このスイッチは絶対に切るな!!
マニュアルを聖書扱いしていました。
説得するのが骨でした。

アポロが月の裏側を抜ける直前・・・エンジンの限界について結論が見えてきました。
ハーヴィーがカリフォルニアのエルベラむとデータを突き合わせた中に、決め手となる情報がありました。

断熱シールドがどれだけの燃焼に耐えられるのか??
その実験データが見つかったのです。
実験は、NASAが求める以上に長い時間、燃焼したらどうなるかを試していました。
そのデータによると、断熱シールドの限界は、およそ4分間でした。
合計4分までなら噴射可能!!

事故から23時間半後・・・アクエリアスは、エンジンを噴射します。
噴射は、成功!!
アポロは地球に向けて加速します。
事故から82時間後・・・遂に、地球まであと少しのところまでやってきました。
最後の難関は大気圏突入!!
僅かな角度の違いで、帰還することが出来ない・・・許される角度の幅は、2.4度・・・。
支援船を切り離し、最後の調整・・・目標の角度へと導きます。
事故から86時間後・・・アクエリアスを切り離す!!
アクエリアスは、全ての任務をやり終えた後、大気圏に落下し燃え尽きました。
いよいよ大気圏突入!!通信が途絶えます。

そして、12分後、アポロ13号が姿を現しました。

世界中がその生還を喜びました。
まさに、奇跡の生還劇!!
人類が初めて経験した宇宙での大事故・・・アポロ13号の奇跡のリカバリーはこう呼ばれます。

「成功した失敗」と。

人類の宇宙への挑戦・・・そこにはどんな危機に見舞われようと決してあきらめない人々の努力と情熱の物語がありました。

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