歴史の人物たちの肖像画・・・あの偉人の肖像画な別人だった??

聖徳太子・・・

syoutokuこちらは法隆寺が持っていたもので、長年、最古の聖徳太子像だとされてきました。
しかし、近年では、疑問が持たれています。

この絵の最古の文献は、平安時代後期の学者・大江親通の「七大寺巡礼私記」によると・・・
この肖像画に描かれているのは聖徳太子で、古代中国・唐の人によって描かれたものだ、とあります。
しかし、現代になって検証してみると様々なことがわかってきました。
冠と衣装・・・これらは、飛鳥時代のものではなく奈良時代のものです。
これにより、描かれているのは奈良時代の人物では??
さらに、この肖像画に装丁されていた絹地に川原寺とあったので、もともとは奈良県明日香村にあった川原寺のものだったという説が浮上・・・!!
川原寺とは、第38代天智天皇が建立したといわれる寺院です。
そのため、この肖像画は、聖徳太子ではなく天智天皇に関わりの深い藤原氏の誰かでは・・・??といわれています。

聖徳太子と確証がないため、「伝聖徳太子像」と書かれています。



takaujiこの肖像画は、足利尊氏??
かつて教科書では、室町幕府初代将軍足利尊氏とされていました。
しかし、現在は尊氏としては乗っていません。
どうして肖像画ではないとされたのでしょうか?

問題となったのは、花押です。
この花押は、尊氏の嫡男・2代将軍足利義詮のもので、子が父親の頭上に花押を据えることはありえません。

さらに、ざんばら髪で刀を抜き、折れた矢を背負う姿が征夷大将軍に相応しくない・・・この肖像画は尊氏ではないとされました。

では誰なのか・・・??

武具に書かれた家紋は、高氏の家紋です。
このことから、子肖像画は、高師直かその息子の師詮といわれています。

では実際の尊氏は・・・??

takauji2

神奈川県立歴史博物館に尊氏の肖像画があります。

頭には兜をかぶり、背負う矢も折れていません。
これは、江戸時代の模写本で、原本は残っていません。
室町時代にこの絵の原本となった絵のことについて書いた記述が残っています。

そこには、尊氏が紺色の”おどし”を着ていたという記録が残っています。
そしてこれがそれにあたるのではないか?といわれています。
さらに、この絵の左上に”尊氏”の文字があります。
これによって尊氏像であることがわかります。


では原本はいつごろ製作されたのか・・・??
延文三年とあるので、その頃・・・1358年頃かと思われます。
延文三年は、尊氏が亡くなった年に当たります。
追善供養のために、2代将軍義詮が製作を企画したものかと思われます。

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